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2006/6/10 土曜日

華倫変2

Filed under: マンガ — pu6 @ 11:43:08

カリクラ2

前回の続き。
若くして死んだ、唯一無比の個性を持っていた漫画家、華倫変について。

彼のコミックは俺はヤンマガKCコミックの「カリクラ」上・下巻と、太田出版の「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」の2種類(3冊)を所有しているが、「カリクラ」は華倫変の死後、大判コミックとして再版されている。
この大判のほうは俺は持っていない。
画像の表紙が太田出版版の大判コミックである。
こっちには俺が持っているヤンマガKCコミックには収録されていない「フルカワとウサギ」という短編が掲載されている。
他の話は俺の持ってるのと同じなので、未見の「フルカワとウサギ」を読みたいのだが、それだけのために大判を買おうかどうか悩んでいる。

「カリクラ」に収録されている作品として前回は「AV」を紹介したが、他の作品についても簡単にコメントを書いてみたい。
前回も書いたが華倫変の作品は「変質者のいる日常風景」と関係性の歪みについて書いたものが主だ。
だが、彼の作品はその関係性の歪みの中に、なにかしら言葉に出来ないセンチメンタルな感傷を漂わせたり、背筋が凍りつくような薄ら寒さを感じる怖い話もある。
前者の代表が「ピンクの液体」、後者は「赤い鎖骨」である。
(お?偶然両方ともタイトルに色がついている)

以下、ネタバレ注意!?

「ピンクの液体」は「ちばてつや賞」を受賞したヤンマガデビュー作。
(それ以前にヤングサンデーでデビューしていたらしいが仕事の依頼が全然来なかったらしい)
主人公の23歳の女性、川本は年齢をごまかして女子高生売春クラブでバイトをしている。
年齢が違うため周囲からは浮いている川本は客からの指名もあまりないが、ある医学生が彼女を買う。
自分を指名してくれたことを歓び、川本はこの医学生と仲良くなろうとするが、医学生はほとんど感情を表さず、無表情で彼女と接する。
そんなことにはお構いなしに川本は自分のことをあれこれと医学生に話す。
両親が離婚し、その後母親が再婚した義父に犯されてトラウマを負い、学校を中退したことなどを、明るく屈託なく話す彼女。
話を聴いているのかいないのかわからない終始無表情の医学生。
しかし別れ際、医学生は川本に大金を渡す。
「家庭の事情が大変なんだろう?」
川本は、表面的にはわからなかった医学生の自分に対する思いやりを感じ、それ以来その医学生と付き合い始める。
無言でなにかの研究をしている医学生のそばにただ居るだけの関係。
しかし医学生は川本に金を払いつづける。
ある日、医学生は川本に注射の練習の実験台になってくれと頼む。
なんの薬を打たれているのかわからないまま、川本は医学生の注射の練習の実験台になることを承知する。
注射を打つたびに大金を払う医学生。
やがて川本は体調に不調を起こし、不眠症になる。
医学生にそのことを打ち明けると睡眠薬をやる、と彼は言った。
それは自作の薬で、本当は麻薬だと医学生は打ち明ける。
そして、自分は以前、川本と同じように女を買い、その女を薬の実験台にしていた、と語った。
女は薬の実験を続けているうちに死んだ、と彼は言った。
川本に手渡した薬は飲むと2分の1の確立で死ぬが、それでも良ければ飲むといい。
そう言って医学生は川本と別れる。
数日後、川本は医学生のもとに現れる。
あの薬を飲んだという。
川本は医学生に問い掛ける
「私が死んだら嫌?」
医学生は少し考えて答える
「嫌だなと思うよ。すごく嫌だと思う」
その答えを聞いて満面の笑みを浮かべる川本。
「そう、よかった」
自分の死を予感しながらも、川本は大きな幸せな気持ちに包まれていった。

この作品の読後感は、たまらなく切なくなる。
川本と医学生の関係性は普通ではない。
医学生にとって川本は薬の実験台であり、モルモットのようにあつかってきた。
川本自身にもそれがわかった。
しかし、川本は医学生の中にある、わずかな自分に対する「思いやり」を感じていた。
医学生自身が気づいていない川本に対する同情や哀れみ、それを敏感に感じ取った川本はそれでもいいのだ、と思っていた。
自分に対するほんのわずかな思いやりを抱きしめて、川本は自分は幸せだと感じる。
自分が死んでしまうことを嫌だと言ってくれた医学生の言葉に限りない喜びを感じる。
人間を物としか感じられないような医学生がなぜか川本に対してだけ芽生えた、わずかな人間的な感情。
それはあるいは恋愛感情だったのかもしれないが、人間としての感情が壊れてしまっている医学生はそれを川本に対して表現することもわからず、表現するという発想もなく、金を渡すという行為を川本に対して感じることの表現の代償として続けていた。
感情の表現が壊れていて、間違っていても川本は医学生が自分に対して好意をもっているであろうことを感じていた。
自分が死んだら嫌?
その問いに対して、嫌だと答えてくれるであろうことを予感し、事実、その言葉を医学生から聞き、喜びと幸せを感じる。

川本と医学生の正常ではないが確かにつながっている関係性。
華倫変はそこに深い感傷を見出している。
この作品を読んだ後は、不器用なこの2人の登場人物に対して、たまらないほどの愛おしさを感じ、切なくなる。
「ピンクの液体」は華倫変の作品の中でも、深い感傷と慈しみを感じる傑作短編だ。

「ピンクの液体」とは、まったく対照的な残酷で薄ら恐ろしい作品が「赤い鎖骨」
この作品には「AV」に登場したあの三好が、キャラクター設定を変えて再び登場する。
ここでの三好はとある会社のサラリーマンで部下である若いOLをねちねちと嫌味を言いバカにする。
バカにされるOL,西本恵子はなぜそんなに三好にバカにされるのかわからないが、わからないのは自分がバカだからだと思う。
三好に対し何の反論も出来ずに、ただバカにされるのを耐える西本。
そんな西本を慰める同僚のOL
同僚は三好は西本に気があるから、わざといじめるんだと言う。
動揺する西本。
しかし、ある日、西本は三好に飲みに誘われる。
同僚のOLの言ったことは本当だった。
三好は西本に好意を抱いていた。
次第に三好に心を開いていく西本。
休日に三好からドライブに誘われる西本。
一緒に出かけると三好は人里離れた山奥へ進んでいく。
三好は西本に前に旅行したときの写真を見せる。
写真の中には、あの同僚OLが笑顔で写っているものがあった。
同僚OLと三好が付き合っていたことを知る西本。
優しそうに見えた三好の顔つきが変り、西本に対しこう言う。
「お前って本当にバカだよなー」
ひとりで話をする三好。
同僚OLは西本と付き合い始めた三好に詰め寄ったが、それに対し三好はうるさがっていた。
西本は三好に、同僚OLとは今も付き合っているのか?と問うと、三好は答える。
「今も一緒に居るよ、車のトランクの中にいる」
自分は西本を愛している、と言う三好
「いろいろと考えるなよ。大丈夫だから」
そして山奥で車を止め、同僚OLの死体を埋めるのを手伝わされる西本。
帰りの車の中で、懸命になにかを考えようとする西本だったが、いくら考えてもなにもわからなかった。
わからないのは自分がバカだから、いくら考えても無駄だと思い、考えるのをやめてしまう。
しかし、なにもわからなくても自分は言い知れぬ恐怖を感じていることだけは西本にもはっきりとわかっていた。

三好も西本も自分達ふたりの間にあるのは恋愛感情だと思い込んでいる。
しかし、それは他の人間が見たら絶対に間違っているのがわかる。
三好も西本も「恋愛」という世間一般から高く見られがちな関係性に、自分達の関係性を摩り替えている。
異常なサディズム性欲を抱えた三好と、自分をバカにする相手に反論できない弱さを持った西村。
彼らは自分の抱えるこうした問題点を「恋愛」と呼ばれる関係性を結ぶことで、正当化しようとしている。
三好はそのすり替えと思い込みをなんなくこなしてしまうが、西村にはそれが出来ず、恐怖にかられる。
しかし、それでも「恋愛」という関係性にすりかえるより他に方法を知らない西村は恐怖を感じながらも、その関係性にすがってしまう。

華倫変は勘違いされた関係性の恐ろしさを描く。
2人の思い込みの間だけで循環する関係性はどこにも行き場がなく、ただ歪み続けるだけなのだ。

華倫変の作品に度々登場する、この三好というキャラクターは実在する知人をモデルにしているのだそうだ。
なんだか華倫変をバカにしていじめつづけていた人物だそうで、しかし華倫変は、それでもこの三好に対して不快な感情ではなく、ある種のあこがれと尊敬の気持ちを抱いていたそうである。
不思議なことにいじめられているにも関わらず華倫変は三好と親友同士であったらしい。
華倫変にとっては、三好の歪んだキャラクターがとても魅力的に見えていたらしい。
華倫変が死んだとき、華倫変が生前運営していたホームページの掲示板に三好のモデルとなった本人が追悼の辞を書き込んでいた。
それは心から親友の死を悼んだ文であった。
華倫変と三好の友情は奇妙な関係性の上でなりたっていた。
上に書いた「赤い鎖骨」とはまったく正反対だが、勘違いされた関係性の上で2人は深い友情をはぐくんでいたらしい。

またしても予定より長くなってしまった上に、まとまらない。
華倫変レビューは、また次回も続くことにします。
うーむ、俺ってレビュー書くのへただなあ。
どうやったら綺麗にまとまるんだろう?

2006/6/9 金曜日

華倫変

Filed under: マンガ — pu6 @ 18:10:38

カリクラ1

2003年の春、ひとりの漫画家がひっそりと亡くなった。
華倫変と書いて「かりんぺん」と読ませる奇妙な名前の奇妙な漫画家だ。
享年28歳

彼はヤングジャンプなどで「カリクラ」という、短編シリーズを書き、おそらくは限られた読者の中でのみ、心に刻まれた、いわゆるマイナーな漫画家だった。
彼の書く漫画から受ける印象の第1は、まず「絵がへたである」ということだ。
かなり稚拙な部類に入る絵で、それが彼の技術の限界なのか、あるいは狙ったものだったのかはわからない。
しかし、俺は彼のヘタな絵が嫌いではない。
というかむしろ好きである。
絵の好みは、うまい、へた、では決まらない。
うまくても魅力に乏しい絵もあれば、へたであってもなにかしら魅力を持った絵がある。
俺は華倫変の絵が好きだった。
特にペイブメントなどのロウファイロックを好んで聴いていた時期に、華倫変を読んでいたので、脱力系ヘタウマというものに対して新鮮な印象を抱いていた。
華倫変のヘタクソな絵は見ているだけでへろへろと力が抜けてしまうようなロウファイであり、そしてそこに魅力があった。
そんな稚拙な絵で描かれる華倫変の漫画は、その絵柄とは裏腹に・・・・・いや、その絵柄であったからこそか、なにか読み手の心に、うっすらとしたトラウマを刻むものであった。
強烈なトラウマとはちがう、引っかき傷のようなものを読者の心に残す、そんな漫画だった。
彼の一連の作品を一言で表現すると「変質者のいる風景」とでも言うべきものだ。
なにげない日常の中に、奇妙な人間が配置される。
その奇妙さとは、漫画的な奇妙さ、演出され創作された奇妙さとはまた違う、我々が現実の中で時々出会う、一瞬ドキリとしてしまう、おかしな人間達なのだ。
たとえば駅のホームでブツブツつぶやいていたかと思うと、突然奇声をあげる、「ちょっとおかしな人」、かかわりあいにならぬよう、目をそらし、その横を無言で走り去る、そんなタイプの人たち。
華倫変の漫画に出てくる人は、そんな「かかわるべきではないような人物」と、「うっかり関わってしまった人たち」の物語である。
奇妙、奇怪な言動をする人物と対面し、どうリアクションをとったらいいのかわからない・・・・・・そんな「うっかりかかわってしまった人たち」の、その心にうっすらと負った引っかき傷について書いている。
そんな漫画であると俺は思った。
ドラマチックなことはなにも起こらない。
ただ日常の中に「ちょっとおかしな人」がいる。
そして「おかしな人」とは、どうコミュニケートしたらいいのかわからない。
コミュニケートの断絶、といってしまってはオーバーだが、コミュニケートの無能、関係性が機能しないことの微妙な苦しみと、それによって生まれるトラウマについて書かれた作品が多い。
「カリクラ」1巻収録の、「AV」に登場する三好は、奇怪な人物である。
とあるインディーズアダルトビデオに男優として応募してきたこの男は、次第に自身の妄想的性癖を強固に主張し始め、そのあまりの確信ぶりにたじろいだAVスタッフたちは、やがて現場を三好に乗っ取られてしまう。
AV撮影現場の暴君として振舞う三好。
彼は自分の性的妄想が絶対であり、それが理解できない、ついていけないものを批難する。
彼の異様なテンションにおじけづいた気弱な人々は、彼の奴隷のようになっていく。
そんな奴隷の一人、AV女優の大乱真理子。
彼女は過去にレイプされたトラウマを持つ女だった。
そして三好はそんなトラウマを持つ真理子に対し、気の毒に思うような共感は持ち合わせておらず、かえって「レイプ」というシチュエーションに興奮し、彼女に過酷な撮影を強制しつづける。
ボコボコになぐって犯したり、するのだが、これが本当の愛だとか、愛しているのなら殴られることも平気なはずだとか、勝手なことを言ってばかりいる。
しかし真理子はそんな自己中心的な三好の言葉を信じて、自分は三好に愛されてるのだと思い込む。
この2人の間にだけ関係性は成立し、他のスタッフは三好と真理子にはかかわらないようにし始める。
そんなある日、三好は真理子にスカトロを要求する。
自分が排便したウンコを真理子に無理矢理食べさせようとする。
さすがの真理子もこれには強固に拒み、言うことを聴かない三好はブチ切れて撮影現場で暴れまくる。
「わがままをいうな!」「もっとひとの気持ちをわかる女になれ!」
「好き嫌いをいわない女になれ!」
だれもが、「それはお前に1番言いたい・・・・」と思うようなことを口走りながら、三好は真理子を撮影用ライトでなぐり、大怪我を負わせる。
入院した真理子をつきっきりで看病する三好。
真理子に対してなんの思いやりも持っていなかったはずの彼が、3日3晩、真理子の看病につきそう。
三好にとっては、「自分は真理子を愛している」という妄想は現実だったのだ。
そして真理子の怪我が回復した日、三好は真理子がAV出演で稼いだ金を全部持ち逃げしてどこかへ消えた。
ひとり残された真理子。
AV現場では三好以外に話をする相手がいない真理子はシンナーを吸いながら携帯ゲームをするだけだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おかしな人物」三好と、「関わってしまった」真理子。
ここで奇妙なのは、結局真理子は自分に対して思いやりのかけらもない三好としか関係を持てなかった、ということだ。
三好としか関係をもてない以上、その関係性も三好に合わせた異常なものにするしかない。
関係性を歪めてまでも、誰かと関わっていたい女、真理子。
そして歪められた関係性を結んだふたりと一切関わり合いをもたないよう「見て見ぬふり」をし続ける周囲のスタッフ。
このAV現場では三好以外の人間はみんな、なにかしらの心の傷を負ってしまったような気がする。
関わっても、関わらなくても、そこにある「変質者」が介入することによって、日常を送ることに負荷が加わってしまったのだ。
日常に負荷を加える「変質者」と、その負荷を避けることの代償にトラウマを負う周囲。
そして「変質者」と関わったしまったことにより自分に加わる負荷を、関係性を歪めることで回避しようとしたAV女優。
「奇妙な人物」により、日常が歪む様と、その歪んだ日常を自分の心に傷を追うことで回避する人々・・・・・・。
華倫変の書く漫画はそんな情景を描いている。
「変質者のいる日常風景」
一見普通に見えるが歪んでいる。
歪んでいるけど、それを声に出して言うことは出来ない。
それを言ってしまうとせっかく微妙なバランスで保っていた日常が壊れてしまうからだ。
だから、「歪んでいる」ことを口に出さず、見て見ぬ振りをする。
その代償として、心にひっかかれたような傷を負う。
華倫変が稚拙な絵で描いて見せたのは人間の稚拙な関係性の結び方であり、その心に負った稚拙な傷である。

ちょっと予定より長くなりすぎてまとまらなかったな。
華倫変についてはまた改めて書かなくてはいけないようです。
他の作品についても、そして彼の死についても。

まったく、まとまっていませんが、とりあえず華倫変レビューの第1回はここまで。
また次回を近いうちに書きます。

岡崎京子

Filed under: マンガ — pu6 @ 0:16:38

リバースエッジ?

80年代に活躍した漫画家、岡崎京子。
しかし交通事故に会い、重態となり現在漫画家としての活動はしていない。
一時期、意識不明の状態だったらしいが、今はだいぶ回復しているらしいとのこと。
早く漫画家としての復帰を望むが、なんと言うか彼女が事故に会い死の淵を彷徨ってしまったことに、不謹慎ながらなんらかの必然を感じてしまった自分がいる。
彼女の漫画は80年代ニューウェーブポップ的な明るくお洒落な作品であり、俺も大好きだった。
しかし彼女はそのポップで明るい作風の裏に・・・・いや裏というより奥底に、深い死生感を潜めていたように思う。
消費文明社会から生まれた物質的80年代サブカルチャーポップ。
その代表であり、象徴でもあった岡崎京子が、そうした80年代サブカルから真っ向から対立する「死」の観念をいつからか自分の作品に、一見わからないよう少しずつ潜め始め、次第に作品内からは「物質文明に溺れているばかりでは感じられない真実、現実が存在するのだ」ということを主張しはじめる。
それが頂点に達したのが名作であると同時に怪作でもある「リバース・エッジ」、岡崎作品のなかでも、どこに位置させればいいのかも不明な実に異質な感触を持つ作品だ。
それはある意味、彼女が描きつづけていた作品のコンセプト全てを否定するかのように見える「残酷な死の存在」をテーマとして書かれたものだった。
正直、自分はこの漫画がどういうものなのかさえ、判断できない。
難解であると思うし、いったい何を意味し主張しているのかさえわからない。
なんというかあまりにも異質で奇怪、不安感を感じる作品であった。
ずいぶん昔に読んだのでストーリーは忘れてしまっている。
もう1回読んでみたいとも思うのだが、もう1度読んでもわからないような気もする。
ただ、この漫画を読んだときに感じたことは、これを書いてしまった岡崎京子は、踏み込んでしまうにはあまりに危険なほどに「死」という観念に近づいてしまった、ということだった。
それはまるで、物に囲まれて全然見えなくなってしまった「死」というものの姿を、見てみたい、という感情によって書かれていたようにさえ見えた。
そして、この作品を書いたあとに岡崎京子は交通事故に会う。
生きているのが奇跡というほどの大事故だったらしい。
不謹慎であるのを覚悟して言うが、俺はこの事故は岡崎京子自身が招いたように思えてならない。
彼女に事故の責任があると言っているのではない。
岡崎京子は、あまりに「死」を求めすぎたのではないだろうか?
「死」というものの感触を、確かめてみたくて仕方なかった。
彼女はそう思っていたように思えてならないのだ。
だから彼女を襲った事故は、彼女が1番求めていたものであったような気がしてならない。
岡崎京子自身や彼女の関係者、そして彼女の漫画のファンに対して自分はとても失礼なことをいってしまっているのかもしれない。
俺はバカで見当違いのことを言っているのだろう。
それに俺は彼女が事故に遭う直前に書かれた「リバース・エッジ」について、1度読んだにもかかわらず、まったく内容を忘れてしまっているのだ。
ただ、この作品を呼んだときに感じた、非常に冷たい感触だけを憶えているだけだ。
他の岡崎漫画からは感じたことの無い、冷たく鋭利な、人を刺すナイフのような感触。
つねに明るく、笑顔で、日常を楽しみ、日常を少女的な夢に変換していく岡崎漫画とはあまりにかけはなれた、恐ろしさを「リバース・エッジ」から感じたのだ。 まったく俺はなんで読みもしない漫画や読んでも忘れてしまった漫画について語ろうとしているんだろう?
もしかしたら、「リバース・エッジ」を読んだことで俺はなにかのトラウマを負ったのかもしれない。
そのトラウマの癒し方さえ、わからない。
だって、「リバース・エッジ」がどんな漫画であったのか、まったく憶えてないのだから。

しかし俺は岡崎京子の漫画で、ちゃんと憶えていてなおかつ大好きな漫画、愛しているとさえいってもかまわないほど好きだった漫画「PINK」の中で、主人公の女の子が星空を見上げながらつぶやいたセリフを、今もよく憶えている。「現実の中ではどんなことでも起こりうる。どんな残酷なことでも。どんな優しいことでも」

「PINK」の主人公の女の子がつぶやいたこの言葉を
俺は、この「世界」という実態のつかめないものの、真実の有り様として、心に刻んでいる。
ちょっと村上春樹の哲学にも似ている。
現実とは、どんなことでも起こり得るのだ。
どんな残酷なことも。
そして、どんな優しいことも。そんな世界で、自分も、岡崎京子も、生きていたのだと思う。

2006/6/3 土曜日

ブルマー1999

Filed under: マンガ — pu6 @ 7:05:30

ブルマー1999.jpg?

??

前回紹介したSABEですが、最後に少し触れた彼の傑作短編集「ブルマー1999」につてレビューしたいと思います。
このコミック実に面白く、短編の1つ1つの質が高く、また内容が濃い!
成人漫画指定になっているのは残念です。
たしかにエロマンガも収録されてますが、エロマンガというよりはアナーキックギャグ、およびシリアスで切ない短編小説風作品がほとんどで、またエロマンガにしても、内容がよく面白いです。
偏見を持たずに多くの人に読んでもらいたい作品集です。

収録作品は

1・ブルマー1999
2・ブリード
3・ブルマー2001
4・みんなのお兄さん
5・玉突き女
6・田舎の体育祭
7・スキーに行ったらね
8・みんなのアイドル、まゆ子ちゃん
9・カミソリの玲
10・寒い夏

の10本
1?6までが出版当時99年近くに描かれたもので、7?10はデビュー時の80年代ごろの作品

1・ブルマー1999

1999年、恐怖の大王が本当に来ちゃって人類はほとんどが滅びてしまったという適当なオープニングからはじまり、地球は北斗の拳みたいな世紀末になってしまった。
そして世界を征服しようとたくらむラ王の一派によって世は乱れていた。
ブルマー少女を襲うラ王の手下!
そこへあらわれたのは、ブルマー大好きな青年ジャッキー!(別に拳法はつかえない)
とにかくブルマーと北斗の拳を合体させた、ブルマーと北斗の拳が大好きな人に捧げる世紀末ギャグ。
ブルマーと北斗の拳が大好きな人なら気に入ることうけあいです!

2・ブリード

近未来を舞台にしたSF
未来への不安が遺伝にまで作用し、性的に不完全な人間しか生まれなくなる。
成人しても少年少女の姿のまま、まったく性欲を持たない。
そんな中に結婚して子供を作ろうと考えるカップルがいた。
彼らは見た目は子供だが大人なのだ。
ただ性的に不能であり、セックスをすることは出来ない。
政府の人口維持機関に行き、強制的にセックスを行ってくれるようたのむ2人。
この作品は短いながら、なんとも切ない読後感を残す傑作である。
まるで家畜の種付けのようにあつかわれるカップル。
受精が終わった後、これからの未来に希望を見たような表情を浮かべる女性に対し、
精を搾り取られた男のほうは少年のような外見から一気に老け込みまるで老人のようになってしまう。
子供を産み、育て、未来について希望をつないでいける女性に対し、役割を終えた後は存在する必要の無くなる男性の悲しさ。
2人の間には大きな隔たりがある。
男性読者にとってはあまりに切なく残酷な物語である。

3・ブルマー2001

ブルマー1999の続編、あいかわらずブルマーと北斗の拳が好きな人にはたまらない世紀末ギャグ

4・みんなのお兄さん

テレビの子供番組で体操のお兄さんをやっている青年の裏の顔は?
SABEの作品にしてはめずらしくストレートなエロマンガだが、最後に強烈なオチが待っている。

5・玉突き女

場末のビリーヤード場をぶたいにした、やさぐれ感が漂うエロマンガ
なんとなくRCサクセションの曲が似合いそうな、軽いタッチの好編

6・田舎の体育祭

コンプレックス・プールの戸田誠二もカバーした傑作
田舎の高校生が主人公の、どこかなつかしいノスタルジーが漂う、まるでマイナーな日本の青春映画のような感触の短編。
なにもドラマチックなことが起こらない退屈な日常をたんたんと描いている。
たしかに退屈な毎日でも、未来に対して淡い憧れを感じているそんな微妙な空気を見事に表現している。
主人公の少女と少年の恋とはいえない微妙に相手の異性を意識する様子がほほえましくも切ない。
そして清清しく爽やかなラスト。
一見地味だが、味わい深くとても好きな作品。

7・スキーに行ったらね

SABEが80年代に描いた初期作品。
絵柄は現在のシャープでクールなものに比べるとさすがに古い。
が、この作品のアナーキーな不条理っぷりは今読んでもまったく遜色ない壊れた世界だ。
温泉旅行に行った少女が見たものは?
理由無き悪意に満ちたバスの運転手!
虫にしか見えないアメリカ人が女を犯す!
初期ペイブメントの音楽にも並ぶ、壊れきってて無責任な、シュールギャグ

8・みんなのアイドル・まゆこちゃん

これも上の「スキーに行ったらね」路線の壊れた無責任ギャグマンガ
さらに無責任っぷりは高く、作者のやる気の無さ、投げやりな姿勢が逆にむやみにおかしな効果を生んでいる。

9・カミソリの玲

おそらく「私をスキーに連れてって」などのスキーが流行っていたバブル時代に書かれた作品であろう。
とにかくスキーが嫌いだ!ということをいいたいだけの作品。

10・寒い夏

壊れてるとかシュールだとか言う前に、とにかく作者のやる気のなさがひしひしと伝わってくる投げやりな作品。
なんか漫画なんか書きたくなくて仕方のないときに無理矢理描かされたのだろう。
このやる気なさ、投げやりっぷりはある意味、攻撃的でさえある。

そんなわけで、作品1つ1つ、非常に濃くて妙な味わいが楽しい作品集だ。
全体的に壊れているが、ところどころはさまれるシリアスな作品が、この短編集を引き締めている。

初期の荒削りな作品もいいが、やはりブルマー1999から田舎の体育祭までのながれが非常によく、まるでよく出来た音楽アルバムを聞いているような気持ちにもなる。
まあ、優れたマンガ短編集ってのは、みんな音楽のアルバムと同じような気持ちで読めるよね。

SABE

Filed under: マンガ — pu6 @ 6:43:54

SABE

?

この漫画家の名前を聞いたことがある人は少ないと思いますが、俺はこのSABEの大ファンで彼は天才であると思ってます。
(実はファンメール送った事もある・・・・コソーリ・・・)非常に才能のあるSABEの名前が一般に浸透せず一部のマニアの間だけで知られているのは、おそらく彼が活動の場をエロマンガ誌を中心としていることからであると思います。
俺がはじめて彼の名を知ったのは酔っ払ってコンビニで買った「快楽天」というエロマンガ雑誌からでした。
SABEがその雑誌で連載しているショートコミック「阿佐ヶ谷腐れ酢学園」というマンガを読んで、そのあまりのアナーキーっぷりに酔いが冷めるほどにぶっとんでしまいました。
ハイネックのレオタードを着た目つきの異常に鋭い女が刀でひたすらペンギンを切り殺していく。
ペンギンの目は血走り、しかし殺されるにもかかわらずまったくの無抵抗。
ペンギンを殺す女もなんの理由があってペンギンたちを殺していくのかまったく理由がわかりません。
しかも次々と殺されていくペンギンは他のペンギンたちとテレパシーで会話が出来るらしく「我々は群生生物、固体ではなく集団で1つの生命体」、「たとえ固体が1匹2匹殺されてもそれは本当の死ではない」、「全体として存在する我々は死ぬことはない」
みたいなことを言ってます。
無抵抗のペンギンを次々と惨殺していく女、そして殺されても殺されても、あとからあとから現れるペンギン・・・・・・・・。
そんなペンギンを見て、メスのアライグマがなぜか「いいなあ、アタシも殺されたい」と羨ましがります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんなんだ、この漫画は?
笑う漫画なんだろうか?これのどこで笑うんだろう?
さっぱり意味がわからないにもかかわらず、その圧倒的にアナーキーな内容に、すっかり取り付かれてしまいました。
こんなぶっとんだ漫画はかつて見たことが無く、これが今の最先端のギャグマンガなのだろうか?と新らし物大好きな俺は、自分の感性をこのギャグに追いつかせようと、それから毎月「快楽天」を買い、「阿佐ヶ谷腐れ酢学園」を読み漁りました。
連載を読んでいくと、最初に読んだペンギンと刀でペンギンを殺しつづける女はこのシリーズの脇役であり、あれはむしろ番外編のようなものであったことがわかりました。
この漫画の本当の主人公はブルマちゃんという女の子と、ブルマちゃんとは血のつながらない義理の姉、日陰ちゃんでありました。
いつも体操服にブルマーといういでたちのこの姉妹。
ブルマちゃんはヤクザの組長の娘で日陰ちゃんは、組長の妾の娘、日陰ちゃんはその名の通り日陰者であったのです。
そんな2人を中心に「人間としてすでに終わっているやつらばかりを収容した学校」阿佐ヶ谷腐れ酢学園を舞台に、ひたすらアナーキーに話が展開されていくのです。
ブルマちゃんたちのクラスメートも強烈な個性の持ち主ばかり、異常に排便に執着するハードスカトロジストの子供「うんこ太郎」、うんこ太郎の姉で常にスカートをめくりあげている露出狂の少女「パンツねーちゃん」、先に書いた意味も無くペンギンを殺しつづける「ペンギン虐殺女」、異常にフードつきのコートのこだわるフードフェチ女、
こんなキャラたちがとにかくアナーキーに暴れまわるそんな漫画です。
日陰者の日陰ちゃんは、わがままなブルマちゃんに冷たくされながらも、涙を忍んでブルマちゃんの身代わりをやりつづけます。
ブルマちゃんは父親の組長と対立するヤクザたちから命を狙われているので、殺し屋がブルマちゃんを殺そうとするとき、その身代わりとしてブルマちゃんにそっくりな日陰ちゃんをブルマちゃんに同行させているのです。
そんなかわいそうな日陰ちゃんですが、話が進むにつれ段々壊れていきます。
この壊れっぷりがすさまじく、最終的には主役であったはずのブルマちゃんを完全に食ってしまっています。
ちょっとここまで、ぶっ飛んだギャグマンガはなく、まっとうな人間が読んだら怒り狂ってしまうほどに不謹慎なネタだらけです。
他では絶対に読めないような、このハードコア美少女ギャグマンガに、さいしょは戸惑っていた俺もすっかりハマってしまうのです。
「阿佐ヶ谷・・・」の作者、SABEの大ファンになってしまった、俺は彼の他の単行本も探して買って読むようになりました。
そんな彼のコミックスの中でも俺の1番のお気に入りであり、大傑作と思っているのは短編集「ブルマー1999」です。
世紀末的な破壊的ギャグと、コンプレックスプールの戸田誠二も惹かれているであろう切ないシリアスストーリーが混在した、非常に充実した1冊です。
SABEという作家は、いくつもの顔を持っているというかアナーキー不謹慎ギャグと、微妙な心の機微を見事に描写した文学的作品の両極端なふたつの世界を両立させて書くことが出来る上に、その両方ともが非常に質が高いのです。
この2つのジャンルというか傾向にたいし、天才的な才能を発揮するSABEという作家は並みではありません。
強烈なギャグを求めている人にも、切ない話が好きな人にも、このSABEという漫画家の作品はおすすめです。

なるたる

Filed under: マンガ — pu6 @ 6:13:00

なるたる

「なるたる」とは月間アフタヌーンで連載されていたSF漫画。

「未来の子供達に捧げるメルヘン」みたいなキャッチフレーズがついていた。

俺もコミックス全巻揃えるほどはまってしまった漫画だ。

元気で前向きな小学生の女の子「しいな」と、不思議な星型の生き物「ホシマル」が地球的規模の大事件にまきこまれる、というストーリー。

と、いうふうに説明出来るんだけど、この漫画「なるたる」なんていうなんだかほのぼのとした語感のタイトル、絵柄の柔らかさ、そして「未来の子供たちに捧げるメルヘン」なんていうキャッチフレーズからイメージされる内容とは、かなりかけ離れた一筋縄ではいかない漫画だった。

俺もこの複雑な謎だらけの作品をレビューする自身が無い。

正直、俺の文章スキルでは、この作品を語りきることは不可能だと思う。

今まで、何度かこの作品をレビューしようとして失敗している。

今回もおそらく失敗してしまうであろうことを承知で、何度目かの「なるたる」レビューを試みてみよう。

簡単なストーリー概要。

子供達と不思議な力でリンクする(心が通じ合うといったらいいのか?)竜の子というのが現れて、子供達はその竜の子の持つ不思議な力を使うことが出来るようになる。

しいなは田舎の海で竜の子「ホシマル」と出会う。

空飛ぶホシマルの背中に乗って夜空を飛ぶしいな。

そして、田舎から帰るために乗った飛行機が、ナイフの形をした竜の子に襲われる。

しいなは「ホシマル」と協力して、このナイフ形の竜の子を撃退すようとする。

そしてホシマルから落下したしいなを、巨大な竜のような生物と、それに乗った全裸の少女が救う。

巨大な竜と全裸の少女はナイフ形竜の子を撃退。

どこかへと去っていく。

波乱の予感を含む、第1話。

ここまでは健全なSFファンタジー漫画のようによめてしまう。

が、連載が進むにつれ、この漫画は単なる健全なファンタジーとは違う様相を徐々に露呈していく。

健全な作品がけっして外には現さない、暗い闇を露悪的なほどに描いて行く。

主人公「しいな」は明らかに健全ファンタジーの主人公の典型とも言えるキャラクターだ。

しいなとコンビを組む可愛らしい姿の「ホシマル」も健全ファンタジーに似つかわしい。

しかし、そんな彼らを取り巻く世界は、しだいに暗く病んだ闇に包まれていく。

闇の中の健全ヒロイン。

この「なるたる」は数ある健全ファンタジーのアンチテーゼとして描かれていたように思う。

この「なるたる」という作品、子供達を主人公にしておきながら、決して子供が踏み込んではいけないような危険な領域までを容赦なく描写している。

主人公しいなは、やがて自分と同じ星の子を所有する、極度に内向的な少女あきらと知り合う。?

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あきらはコミュニケーション不全症で、唯一、あっけらかんとしたしいなとだけ友達になることが出来た。

黒の子供会という星の子とリンクした子供達は竜の子をつかって「人間を滅ぼす」計画をたてる。?

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先のナイフ形の竜の子でしいなを襲撃したのも、この「黒の子供会」の一員であった。

人間などこの地球にとって不要と考える彼ら。

そうした黒の子供会の面々と対決を余儀なくされるしいなとあきら

しいな自身はそれこそ健全ファンタジー主人公らしく、地球を守るため、愛すべき人間達を守るために、「黒の子供会」とかかんに対決をいどむのであったが、しかししいなの主観とは大きくズレるほど作品世界は病的に病んでいた。

いくら「人類の滅亡」をもくろむ悪役とは言え、自分達とそれほど年齢の違わない「子供」と戦った上で相手を「殺害」してしまう、しいなとあきら。

正義のためと言う大義名分で、しいな達の行動を正当化することを許さない作者は、いたいけなしいなとあきらに「人間の命」についての大きな命題をつきつける。

悩むしいなとあきら。

さらに健全なしいなを取り巻く環境は見えないところで歪み、病んでいた。

しいなの友達のひとり、ひろこは、しいなの目の届かないところで、クラスメートに執拗にいじめられていた。

その「いじめ」の描写は、健全漫画ではありえないほどの残酷、冷酷なものだ。

無理矢理ミミズ入りのジュースを飲まされる、試験管を性器に挿入され処女膜をやぶられるなど・・・・・・・・耐えがたいほどのいじめをうけながら、誰にも相談することの出来ないひろこのこころは、「鬼」を生み出し、自分をいじめたクラスメートに復讐していく。

ひろこの殺戮を止めに入るしいな。

復讐心にかられたひろこを止めるには、友達であるひろこを殺さなくてはならない。

ひろこの首に手をかけ、そのまま動けない。

友達のひろこの首をしめて殺すのか?

自分がそれをするのか?

どうしていいのかわからないしいな・・・・・・・。

そして、ちょうどその時、あきらは自分の父親を殺害していた・・・・・・・。

明らかに健全マンガの絵柄と筋立てでありながら、けっして健全なままでいることを許さない作者。?

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この世の歪み、人間の歪みを容赦なく描き表し、その上で「人間の命の価値」について考えさせることを読者に強要する。

正直、俺はこの作者、鬼頭莫宏が、読者になにを感じ、何を考えさせたいのかさっぱりわからなかった。

しかし、それでも、この「なるたる」を読んだ後では考えざるをならなかった。

病的に歪んだ人間の心や、命の価値について。

作者のやりすぎとも思える強烈な描写は、読者に力づくでも、こうした命題を考えさせるためだったのかも知れない。

「なるたる」から受ける感触は「エヴァンゲリオン」のそれに近い。

健全であることのアンチとしての病的な描写。

しかし、「エヴァンゲリオン」の露骨な描写は、ある種「かっこつけ」だったのに対し、

この「なるたる」は本気だ。

「健全」であることに慣れきってしまった人々。

「健全」な作品であふれかえる文化。

それにたいして、「健全な絵柄と健全な設定(ファンタジーというスタイル)」で、喧嘩を挑んだのがこの「なるたる」だった。

露悪的に不健全を撒き散らすという戦法ではなく、健全が次々と打ち負かされていく過程を描きつづけたのが「なるたる」である。

健全であるかぎり安全な人間達が、その健全に見放されることによって落ちていく闇を描く。

「なるたる」は見た目の柔らかな絵柄とは裏腹に、恐るべき作品であった。

現在、コミックス12巻をもって完結した「なるたる」だが、俺は今もって、この作品を総括することが出来ない。?

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最終回を迎えていながら、作品内にちりばめられた謎はまったく解明されておらず、なおかつ作者が読者に突きつけた問題の明快な解答は無い。

ただ、終わってしまっただけのように思う。

というより、終わらせられたのか?

正直、俺は「なるたる」は最後まで描ききれなかった未完成の作品であると思っている。

作者のモチベーションの低下か、出版側の事情かはわからない。

とにかく「なるたる」は終わっていないのに終わってしまった。

俺は終わらない作品として、この「なるたる」のコミックを繰り返し読むと思う。

俺自身に突きつけられた様様な命題はまったく解決していないのだ。

少なくとも「なるたる」が終わったからといって、「健全」に回帰していくことなど出来ない。

「なるたる」終了後、新作「ぼくらの」を連載している作者、鬼頭莫宏?

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彼は、自分自身が提示した命題を新作によって回答することが出来るのだろうか?

なんとか、がんばって書いてみた「なるたる」レビューだが、今回も失敗っぽいなあ。?

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また今度、改めて、「なるたる」レビューに挑戦しよう。

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ようこそ!

Filed under: 未分類 — pu6 @ 5:43:38

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